Title  グリーン・カード 01  緑の札 01  ----五十年後の社會----  懸賞當選映畫小説  Note  大阪朝日新聞 夕刊  昭和五年七月二十日(日曜日)  Author  石原榮三郎 原作  小島善太郎 畫  Subtitle  プロローグ 一  Description 「たしかにどこかで見たことがあ る」歐亞をつなぐ旅客飛行機の一 室である。  タキ・ハルキ博士は、自分の傍 に腰かけてゐる女性の肉體を肩先 に感じながら、さう思つてさつき からその記憶を呼び起さうとして ゐた。大きな船に乘つてゐる時に 感じるやうな微動が、ある時はヱ ンヂンの響のやうに、またある時 は、浪の鼓動のやうに博士の身體 に傳はつて來た。その度ごとに 傍の女性の身體が博士の肩先に 肉薄した。 「モスコーからか知ら、それとも ヨーロツパからか?」  博士はどうしても思出せないの で、今度はその女の乘つて來た塲 所を想像し始めるのだつた。  タキ博士はこの飛行機に上海か ら乘込んだ。毎週一回づゝ診察に 行くことになつてゐる中華聯議 會附屬病院からの歸途である。  ロンドン東京間上りA線急行旅 客機は、上海へ着くまでには、パ リ、べルリン、モスコーの三箇所 にしか停つてゐない。そして博士 が乘込んだときには、その女は、 何か小説らしいものを膝の上にひ ろげて讀み耽つてゐた。 「失禮します」  博士がさういつて彼女の傍に 腰をおろした時、チラと見上げた その美しい顏、何よりも美しい黒 ダイヤのやうなその瞳に、博士の 記憶がかつたのだ。 「何處で逢つたらう?」  博士はもう一度記憶を辿つた。 別に何の用亊もない飛行機の上で は、大阪へ着く二時間半ほどの間 かうした漫然とした想像に耽ける ことは、却つて博士を樂しませた【。】 博士は執拗にその女の上に關心を 持ちつゞけた。 「確かに東京で逢つたことがあ る」  博士は漸くその邊まで記憶の緒 口をたぐり寄せた。 「病院の患者だつたかな」  と思ひついた時、 「イヤ、すると東京ではない、上 海だつた、いま出發して來た附屬 病院でだつた」  と、今度は稍ハツキリ思ひ出せ て來た。博士はボケツトから葉卷 を取り出して火をつけた。こゝま で考へ出して來ると、もう占めた ものだ、あとはもう一息、麻雀で 聽牌するときの氣持ちのやうに、 博士は何とはなしに愉快になつて 悠々と紫の煙を輪に吹いた。  博士といふ肩書、それも理學博 士と醫學博士と二つまで肩書を持 つてゐるタキ・ハルキではあるが、 しかし彼はまだ四十には二、三年 間のある若い學者である。  博士は窓の外へ眼をやつた。  上海を出發して何分たつたら うか、夕闇が次第にその翼をひろ げて來る黄海の上を、まつしぐ らに飛んで行く飛行機の後方遙か 彼方には、まだ上海の空を彩る青 や赤のネオンライトが、まるでお 伽の國の宮殿のやうにチラチラし ながら、美しくかゞやいてゐるの が眺められた。          ヽヽヽ 「まあ!ほんたうにきれいです わね」  突然このとき隣の女性が、博士 に呼びかけた。 「素晴らしいですね」  反射的に博士は返亊をした。  しかしその返亊をするより前、 博士は女の聲を聞くと同時に、 「あゝ、あの時の女だ」  と、ハツキリとその記憶を呼び 起した。       ヽヽ  琥珀の玉をかち合せたやうな、 美しいうるほひのある聲だつた。  End  Data  トツプ見出し:   豪雨で鐵橋傾斜し   東海道本線不通   江尻、興津間で上下線とも   今夕までに復舊困難  廣告:   婦女界 八月號 價五十錢  底本::   紙名:  大阪朝日新聞 夕刊   発行:  昭和五年七月二十日(日曜日) 第三版  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThikPad s30 2639-42J   入力日: 2003年7月16日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年7月26日  $Id: gc01.txt,v 1.8 2005/09/16 02:35:24 nitobe Exp $